アイドルがくれるもの

(以下QUARTET NIGHTについて書くが、もちろんST☆RISHHE★VENS大好きだ。この記事は比べてどうこう言いたいのではなくQUARTET NIGHTについて考えたものなので、あえてST☆RISHHE★VENSのことには一切触れない。どれかを持ち上げたいのだろう、などとだけは思われたくないからだ。)

 

うたプリには、ファンの数だけ解釈がある。当然といえば当然なのだが、他のコンテンツに比べその膨大さはずば抜けている気がする。

ゲームにはそれぞれのルートがあり、全部やっている人もいればそうでない人もいる。自分が主人公の人もいればそうでない人も。どのドラマCDを聴いた聴いてないでまた違うかもしれない。アニメが好きな人もいれば誇張に戸惑う人もいる。舞台関連もある。シャニライもある。そして何より彼等は実在している。

樹形図の枝葉は無数にあって、全く同じ”うたプリ”を見ている人は、きっとこの世界のどこにもいない。

「十人十うたプリ」だ。

ここまで多様な見方のできる作品はあるのだろうか。これらの世界線や公式の行いすべてを菩薩のごとく受け入れるのは、私には難しい。意識的・無意識的に自分の飲み込める事象を選び取って(そうでないものはスルーしつつ)、自らの”うたプリ観”を築きあげている。

 

そんな中で、

「最近のカルナイは愛の言葉も無くグループのことばかり」

「全然ファンのこと見ていない」

といった言葉を見た。

そもそもの大元が乙女ゲーム故、愛の言葉やファン(を通した自分)への言葉を重要視している人がこう感じるのも仕方ないことなのだと思う。こう思う人たちにもきっと大切な”その人だけのうたプリ”があるに違いない。

 

 しかしだ。こんな寂しい言葉を見かけて、私は居てもたってもいられなくなってしまったのだ!十人十うたプリ、どこに愛を感じるかも人それぞれだ。

 

今更ながらこの記事は、QUARTET NIGHTの変化についてマイナスに見る方がいる一方で、こういう人間もいるぞ!!とプラスのエネルギーを放出したいがためのものだ。(本当に今更だが)

私はアイドルのファンとして、QUARTET NIGHTが大好きだ。

今まで、”彼らがファンのことを想ってくれていない”と感じたことは一度としてない。

むしろもうこれ以上ないほどに愛をもらっている、と思っている。少なくとも私は。

それは彼らのどこまでも上を目指し、最高のパフォーマンスで答え続けようとする「飽くなき情熱」に愛を感じるからだと考えている。

アイドルがくれるものは、言葉だけじゃない。かっこよさとかまぶしい笑顔とか、暑い歌声にキレキレのダンス、ステージに立つまでの苦労やメンバーとのやりとり、得てきたもの、捨ててきたもの。それまでの全てがぎゅっとつまった結晶の、一番綺麗な部分を見せてもらっている。

 私はそれが、自分(=ファン)の声援だけで果たして釣り合うものなのか、自信が無いくらいだ。それほどのものを受け取っていると思っている。

だから、できることは全部したい。声援の一部、ペンライトの一本でありたい。

 

 

こちらの想いに、歌とパフォーマンスで愛を何倍にもして返してくれる、今のQUARTET NIGHTが私は大好きだ。

そこには愛の言葉の有無も、増減も、関係ない。

「今の」といっても「パフォーマンスでファンの期待に応える」という点では彼らは最初から何も変わっていない。むしろお互いへの信頼が高まったことで、何倍にもなっているとさえ思う。

ゲームで既に彼らが互いを信頼し大切に想っていることは明確だと私は思っていたので、グループへの想いを改めて歌にしたのは然るべき流れに感じられた。

グループとして活動することが、ステージに立ち続けることが、いかに難しいことなのか。私はあの偶然かつ運命的に出会った四人が、グループでいる道を選び続けてくれていること、四人でステージに立ってくれること。それだけで幸せだ。幸せなのだ。

 

たとえ誰にわかってもらえなくても構わない。これは私の感情だ。私のうたプリと誰かのうたプリを擦り合わせる必要はゼロだ。

 

 

長くファンでいればいるほど、楽しいだけではいられなくなってくるように思う。

きっと誰もが何かにむかついたり、傷ついたり、我慢したりして。私はそれこそ本当に些細なことでモヤモヤしたりする。公式への怒りが収まらない夜もあった。

それでも好きだからここにいる。

それでもそれ以上に愛をもらっているから、ここにいる。

 

私はうたプリが大好きだ。

 

これは単なる一人のうたプリファンの記事だ。どこの集団の総意でも何でもない。このブログを読んで、誰がどう思うのもいい。それはその人の感情であり、全てその人のものだ。そしてそれこそが、その人だけの”うたプリ”を形作るものだと私は思う。

普段はサンとアシタカよろしく同じ作品を別の世界で過ごし、ライブやイベントでは知らぬまま、しかし笑顔ですれ違えたらと思うのだ。